古楽 · 25日 4月 2020
ヘンデル&ポルポラ ソプラノ:西口彰子 バロック・ヴァイオリン:廣海史帆 チェンバロ:横山博 ヴィオローネ:徳島大藏 バッハ・コレギウム・ジャパン等でご活躍のバロック・ヴァイオリン廣海史帆さんらとバロックアンサンブルの演奏会。ヘンデルオペラとヴァイオリンソナタの関係を深堀り。

ケージ&フェルドマン · 24日 3月 2020
ケージ自身が《ソナタとインターリュード》出版後に報告した「プリパレーション説明書」をニューヨーク・パブリック・ライブラリー、及び、ペータース社から許諾を得てその全文を邦訳しました。

読み物 · 21日 3月 2020
クラヴィコードの説明/山野辺暁彦

読み物 · 20日 3月 2020
ケージ自身が《ソナタとインターリュード》出版後に報告した「プリパレーション説明書」をニューヨーク・パブリック・ライブラリー、及び、ペータース社から許諾を得てその全文を邦訳しました。

ケージ&フェルドマン · 11日 1月 2020
ケージの「沈黙の作品」は、1948年、当時勃興していたBGM配信会社に無音の楽曲を放送させる構想から始まった。無響室で絶対的な沈黙の不可知性を悟り、偶然性の作曲の開始を経て、1952年、コンサートピースの《4’33”》へ変貌した。初演したピアニストのチュードアが回顧するには、そこには偶発的なアンビエンスノイズだけでなく、瞑想的なカタルシスがあったと言う。 一方、抽象的な視覚芸術の影響が色濃いフェルドマンにとって、沈黙とは「対位法の代替物」として曲中に配置されるものだった。後期になると、不規則的でシンメトリックなアナトリア絨毯の模様が反映され、三つの異なる拍子に基づくモジュールを巧みに構成した傑作《For Bunita Marcus》(1985年)が生まれた。約70分にわたってダンパーペダルは踏み続けられ、それは、まるで把捉し切れない広大な絵画のように、聴衆の時間感覚を眩惑する。 アメリカ実験主義を代表する2作品の魅力を 、チェンバロやパイプオルガンに至るまでの鍵盤楽器の歴史と機構を内面化した横山博が、精確なタッチで開示する。  大西 穣

ケージ&フェルドマン · 22日 12月 2018
1949年1月11日、M.アジェミアンによって《ソナタとインターリュード》が初演されて以来、様々なピアニストがこの曲のプリパレーションを研究、熟考し演奏を行なってきた。横山博さんは今回、可能な限り作曲当時に近い形、つまり、ケージが用いた小型スタインウェイ・ピアノでその響きをよみがえらせようとする。これは、バ ロック音楽を演奏する際に原典版楽譜に則り、ピリオド楽器で演奏するということを思い起こさせる。鍵盤楽器の歴史的奏法を学んだチェンバリストでもある横山さんの、独自の観点から実現されていく演奏は興味深い。  井上郷子(ピアニスト、国立音楽大学教授)

ドビュッシー · 15日 8月 2017
プログラムノート『映像(イメージ)と言語の狭間で』 川上哲朗

読み物 · 30日 6月 2017
消えゆく変奏曲... そのざわめきが今、甦る   出井陽子

古楽 · 28日 6月 2017
消えゆく変奏曲... そのざわめきが今、甦る   「良い演奏を修得するためにはクラヴィコードを使わねばならない」とは、C. P. E. Bach (1714-1788)が「正しいクラヴィーア奏法試論 (1753)」に残した言葉だ。金属片が弦を突き上げると、振動して音が出る。強く弦を叩いても音程が上がるだけで音量は増大しない。この楽器にピアノのような華やかさや迫力を求めてはならない。クラヴィコードとは極めて小さい音量の中で微細な表現を可能にする楽器なのだ。そもそも聴衆を視野に入れていないのであろう。演奏している様(さま)はまるで二人で対話をしているようだ。横山氏は昨年のクラヴィコードリサイタル(於 木洩れ陽ホール)で、その繊細な楽器を意のままに操った。我々聴衆は美しき声を聞き逃すまいと、息を潜め、固唾を飲み、耳を澄ませ、隣の部屋から密談を盗み聞くような緊迫と高揚をもって、いつしかその空間の虜となっていた。東京初演となる《アポロンの六弦琴》、横山博はここでも聴衆を思いのままにするであろう。  出井陽子

ドビュッシー · 19日 2月 2017
プログラムノート 『ドビュッシーは語る』川上哲朗

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