ケージの「沈黙の作品」は、1948年、当時勃興していたBGM配信会社に無音の楽曲を放送させる構想から始まった。無響室で絶対的な沈黙の不可知性を悟り、偶然性の作曲の開始を経て、1952年、コンサートピースの《4’33”》へ変貌した。初演したピアニストのチュードアが回顧するには、そこには偶発的なアンビエンスノイズだけでなく、瞑想的なカタルシスがあったと言う。
一方、抽象的な視覚芸術の影響が色濃いフェルドマンにとって、沈黙とは「対位法の代替物」として曲中に配置されるものだった。後期になると、不規則的でシンメトリックなアナトリア絨毯の模様が反映され、三つの異なる拍子に基づくモジュールを巧みに構成した傑作《For Bunita Marcus》(1985年)が生まれた。約70分にわたってダンパーペダルは踏み続けられ、それは、まるで把捉し切れない広大な絵画のように、聴衆の時間感覚を眩惑する。
アメリカ実験主義を代表する2作品の魅力を 、チェンバロやパイプオルガンに至るまでの鍵盤楽器の歴史と機構を内面化した横山博が、精確なタッチで開示する。
大西 穣