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アルゲリッチの無観客収録

▼ 僕はマルタ・アルゲリッチのファンです。
バイト代で初めて買ったチケットもアルゲリッチのコンサートでした。
シューマンのピアノ協奏曲。
聞き終わったあとはため息しか出ない。
例えばマイケル・ジャクソンのPVやステージを見た後の言葉を失うしかないあの卓越したもの。
 
昨日、ハンブルクで行われた無観客での収録映像が流れてきました。
ショパンの第3ソナタです。
これは人類への大きなギフトとなりました。最終楽章から聴き始めるのがおすすめです。
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※転載禁止
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アルゲリッチの演奏は、一般に個性的、自由奔放と形容されることが多いですね。
それは、ショパンの楽譜を読んだこともない評論家や音楽ファンのまったく馬鹿な戯言です。
そう、彼らは楽譜を読まないのです。
 
古楽を始めてからも、ますますアルゲリッチへの敬意の念が増し続けています。
彼女ほどショパンのスラーマークを理解している人はいません。
しなやかなパッセージの後には、いつも正しい場所に戻ってきて、慎ましくカデンツで会釈をします。
 
アルゲリッチもまた、ピアノの先生からは「真似してはいけません」リストに含まれるピアニストの一人ですね。
自分が真似できないのだから当然といえば当然ですね。
ひとフレーズも真似できない。
 
コンクール事業関連の記事でよく「色々な演奏録音を比較して、自分なりの解釈を見つけましょう」といったような一文を目にします。
 
これは、ピアニストへの冒涜です。
もう一度言います。「冒涜」です。
 
ある名ピアニストと、ある名ピアニストを足して何で割ったら、独自の解釈いっちょ上がりというわけです。
「これなら真似できそうだリスト」に入れられたピアニストにも失礼です笑。
そんな簡単なことなら、ピアノの先生は、生徒たちの「独自の解釈作り課題」の妨害をする迷惑な人でしかありません。
名ピアニストは他人の録音を聴き込んだから名ピアニストなのではなく、楽譜に敬意を払っているから、その畏怖の念と、作品に責任を負っているがゆえに、名演奏が勝手に、自動的に立ち現れるのだと思います。
 
アルゲリッチの態度こそお手本とすべきなのです。
彼女の演奏に「独自の解釈」など存在しません。
誇張した表現もしません。
顔芸もしません。
これは趣味の問題ではありません。
正しい演奏をしているだけなんです。
 
アルゲリッチの演奏が心に触れないひとは音楽を愛していないひとです。
言葉を失い、身も心も魅了する。
これが19世紀ピアノ音楽の、ショパン演奏の最終目標なのではないのですか?
どうやったら、あんなふうに指が回るんだろう?
自分が教わっている指の形とはぜんぜん違う。
どうやったらあんなに艷やかで緊迫感の演奏ができるのだろう?
 
圧倒的に真似できないこととは何か。
学生時代はずっとそれと向き合っていました。
こっそりと。
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熱くなってしまいました。
 
関係ありませんが、アルゲリッチの衣装も好きです。日本の(?)女性ピアニストの舞台衣装で「いわゆるあの感じのドレス」以外の選択肢は無いのかと、僕は以前から違和感を持っています。
現代的な女優とかが来てる、パリコレ的なファッショナブルなものでキメるのは、ヒンシュクになってしまうのかな?
エルメスとかじゃだめなんでしょうか?