日本語      English

 

 

 

 

 

 

 

NEW RELEASE

ジョン・ケージ

プリペアドピアノのための

《ソナタとインターリュード》

HDリマスター版が配信開始 


"この作品が本来具備している「メロディとしての美しさ・面白さ」が十全に発揮されている。"

 

"「音高の正確性」という「ファウンデーション」があり、それが満足されて初めて、「楽章ごとの性格に合わせた弾き分け」という「コンストラクション」が意味を成す段階に移行できる。本録音は「土台」はほぼ完璧であり、その上に建てるべき「ウワモノ」の方も抜かりはない。「サイレンス」の配置、という点も充分に考慮されている。"

 

"横山博の演奏は典雅で、あたかも、クラヴィコードでバロック以前の曲を聴いているような心地良さだった。

打楽器アンサンブル的でもガムラン的でもホケット的でもなく、クラヴィコード的だった。ネジでプリペアされた高音域が適切なタッチで演奏されており、特に美しかった"

アプリマークをクリックすると、アルバムを再生できます


ピリオド楽器としてのスタインウェイ

 

横山博

 

 

 プリペアド・ピアノとは、ボルトやネジ、ゴム等をグランドピアノの弦と弦の間にピアニストが予め挟み込み、ピアノの音を鐘や鈴、太鼓などの音に見立て、ピアノ1台でパーカッション・アンサンブル、ガムランのような様々な音色を出す手法です。

 ジョン・ケージは1949年の文書で、「ソナタとインターリュードに好ましいピアノは、Steinway Mです」と述べています。このMというモデルはフルコンサートピアノではなく、スタインウェイが販売するピアノの中では奥行き170cmと、かなり小さなグランドピアノです。両国門天ホール所蔵のピアノはこのSteinway Mです。プリペアド・ピアノでは、ピアノの寸法と、音色、そして音高までもが深く結びついています。大きなグランドピアノ、また、他社のピアノでは、ケージの望んだ音をプリペアすることは実質不可能と言えます。つまり、スタインウェイ以外のピアノにプリペアする場合、弦の長さが足りない、長すぎる、ピアノのフレームが邪魔をして、ケージが指定した位置に挟み込めないという現実的問題が起こります。

 私は普段、チェンバロ、クラヴィコードを弾いています。調律、弦の張替えのメンテナンスは日常的なことですので、楽器内部をアレンジする事に対して何の抵抗もありませんでした。クラヴィコードは、金属と金属の接触によって、あの微細で神秘的な音色が現れます。もちろん、それが楽器にとってダメージだと考えたことはありません。

 シフトペダル(グランドピアノの左のペダル)について、ケージは、「シフトペダルの動きは、ハンマーが3つ全ての弦ではなく、2番目と3番目の弦を打つように調整してください」と出版後に報告しています。現行の国産ピアノは、工場から出荷される状態では、2本弦を打つようには設定されていないことが多いそうです。ほとんどの場合、シフトペダルはピアノの音色を「ソフト」にするものだと思われています。しかしここでは鳴り響く弦の「数」を変更する装置であり、それはチェンバロやパイプオルガンの音色を操作するメカニズムと似ています。

 

「私は海辺を歩きながら、自分の気に入った形の貝殻を探すように、プリパレーションの素材(マテリアル)を決めていきました」ジョン・ケージ

 

 ボルトの音色は日本のお寺や教会の鐘の音に似ています。高音域に多く用いられているネジの音色は鉄琴(グロッケンシュピール)のようにキラキラとしています。ポコポコといった弾力性に富むゴムのミュートが作り出す響きは、木魚の音にも似ています。

 天然素材を多く含み、一点一点形や音色も異なる古楽器製作家が作る楽器とは違い、工業製品である現代のピアノにおいては、ボルト、ネジといった金属部品は基本素材です。それらをピアノ線に挟み込み、そこから出る音色を変化させるという、コペルニクス的転回は(たとえそれが偶然の産物であったとはいえ)、私たちのピアノという楽器への理解に揺さぶりをかけるものです。1950年代から本格化する古楽器復興運動が似たような原動力を伴っていたように、プリペアド・ピアノの発想は、工業社会が生み出す完璧な楽器に対する「介入」であり「異議申し立て」でもあったのです。

 現代のピアノを調律するとき、調律師は、最初にラ(A)の音を440-442ヘルツに合わせます。しかしソナタ第16番終結部の左手親指に表れるラの音はプリペアされていないので、鐘のような音は鳴らずに、普通のピアノのラの音が鳴ります。何度も書き込まれているそのラの音を何回弾くかは、ピアニストに委ねられています。

 

「教会の鐘のような音はヨーロッパを連想させます。余韻があって太鼓のような音は東洋的です。この曲集の最後のソナタ第16番は、疑いようもなく「西洋人」である私の署名として作曲しました」ジョン・ケージ

 


>>>批評誌『エクリヲ』によるロングインタビュー

Interview:横山博「アメリカ実験音楽を「古楽化」し、刷新する。鍵盤奏者、横山博のヒストリカルアプローチ」


NEW

モートン・フェルドマン

《バニータ・マーカスのために》

2020東京ライブ版

Spotify他で配信スタート!

"全く眠くならなかったし、むしろ静かに興奮した。独特な打鍵の美しさ、面と面の重なりが再起する瞬間にハッとさせられるからだろう。"

 

"横山博ピアノリサイタル、素晴らしかった。一般的なフェルドマン解釈では拍感や小節線の存在を希薄にすることに注力するが、横山氏の解釈はその逆。リズム構造を明確にし(すごい集中力!)結果として、いびつでダンサブル(!)な音楽が浮かび上がった。形骸化したフェルドマネスクに喝を入れる演奏。"

 

"グルーヴィーなモートン・フェルドマンを初めて聴いた。"

ご利用中のアプリマークをクリックすると、アルバムを再生できます


空間化される時間

 

横山博

 

 

 諸々の芸術分野、ポップカルチャーなどに影響を与え、また、自然科学の領域でも語られることの多いアメリカの作曲家ジョン・ケージですが、その作品が滅多に公開演奏されないことでも有名です。完全な沈黙を体験しようとジョン・ケージはハーバード大学の無響室に入りしました。音から遮断されたはずの耳に聴こえてきたのは、「血液の流れる音」と「神経系統の音」という二種類の身体内からのノイズでした。命の音を聴いたケージは「沈黙は存在しない」という認識に至り《4分33秒》を作曲したとされています。

  一方、モートン・フェルドマンは、視覚芸術を音楽に変換することを試みていました。フェルドマンは若い頃、抽象表現主義画家の制作助手をした経験があり、キャンバスの面積と、音楽作品の持続時間を関連付けていました。美術作品で「大きな作品」は、音楽作品に置き換えると「長い作品」になるだろうと考えるようになりました。フェルドマンと交流のあった抽象表現主義画家、マーク・ロスコ[1903-1970]もまた、巨大な作品を多く制作しました。ロスコの作品を、日本では千葉県佐倉市にある川村記念美術館で見ることができます。《シーグラム壁画》と呼ばれる、横幅4.5メートルに及ぶ絵が薄明かりの部屋に7点展示されており、その薄く何層にも塗り重ねられた赤茶色の絵肌は、乾いた血を思わせます。深い内省を促すその絵画群は、視覚芸術の枠組みを超え、ひとつの空間芸術インスタレーションとなっています。

  フェルドマンは、ドイツのダルムシュタットでの講演会で、自身の作品と絨毯との関係を述べています。

  「私は、『絨毯(ラグ)』から音楽のアイデアを得たのです。天然の野菜で染められた伝統的な絨毯には、アブラッシュと呼ばれる色ムラがあり、微細な色調を備えています。仄かにグラデーションとなった、微かな光を、そこには見ることができるのです。絨毯と、音、二重の感覚を持って、どうしたらそれを音楽にできるのか。あの深く精妙な青は、一度染めただけでは出すことができません。何度も、何度も、染め直す必要があるのです。屋外に出た女性たちが、時間をかけて、注意深く染め直し、そしてまた染め直すという作業を繰り返すのです。作業を行っているその音が、私の作品のアイデアの一部となっています。」

 《バニータ・マーカスのために》の出版にあたって、フェルドマンは次のようにコメントしています。

 「リズムという言葉の代わりに「リズミカルにする“rhythmicize”』という言葉を使いたいと思います。この作品は、主に3/8拍子、5/16拍子、2/2拍子のパターンで構成されています。メーター(拍子、音の長さ)というものを、ひとつの作図法として用いたのです。その結果、メーターと時間の関係は、作品の持続時間として現れました。」

 1982年にコンパクトディスクが発表された当初、その最大収録時間は74分でした。《バニータ・マーカスのために(1985)》の演奏時間は75分とされています。CDでは連続再生ができないよう演奏時間を設定したのでしょうか。SPレコードの最大収録時間5分を超えないように作曲された《4分33秒》とは対照的です。

 

 

 

 

日本語      English

 

 

 

 

 

 

 

 

プリペアドピアノ解説(英語字幕付き)

ジョン・ケージ:第12ソナタ

ジョン・ケージ:4分33秒